My Backbone 本と映画と音楽と ~「小清水 志織」こと Yくんのリクエストに応えて~
『塩狩峠』(三浦綾子 著。1968<昭和43>年 初版。新潮社 刊)
※このホームページの「脚下照顧」のコーナーから
「無償の愛とか自己犠牲的な愛(=キリスト教のアガペー)なんて私には無理」と書いていた(倫理の授業
振り返り80字論述)生徒のことを、「先生(私)にも無理かもしれない…」と次の授業で紹介しながら、以下
のように伝えた。「…でも、イエスのように悪や不正を憎み、それらに対して力でなく心で闘った人、そして
犠牲になった人のように生きられなくても、イエスのように生きる人を応援したり、感謝の気持ちを伝えたり、
何か手助けすることはできると思うし、そうしたいと思う」。そして、昨年度にも鑑賞してもらった「 He was my
brother 」(サイモンとガーファンクル。原詞と私の訳詞をプリント化)を紹介した。
♫~ They shot my brother dead 彼らは 私の仲間を 撃ち殺してしまった
Because he hated what was wrong 彼が 悪を憎んだから~♪
いつか、生ギターの弾き語りで…? そして今、『塩狩峠』(三浦綾子)を読み返している。大学のボランティア
サークルの先輩(クリスチャンの素敵な女性)が、この本を熱心に薦めてくれたことを懐かしく思い出しながら。
2019.6.22
「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん。もし死なば、多くの果(み)を結ぶべし」「人の前で
我を否定する者を、我もまた天の父の前で否定する」「父よ、彼らをゆるしたまえ。その為す所を知らざれば
なり」「義人なし、ひとりだになし」「自分を偉いと思う人間に、偉い人はいないのです」「足が悪いって、ある
意味ではしあわせね。生きるということに対して、自覚的になるような気がするの」「…の突然の死だって、
残されたぼくたちが意味ぶかく受けとめて生きていく時に、ほんとうの意味で、死んだ人の命が、このぼくたち
の中で、生きているといえるのではないだろうか」「死がすべての終わりとは思っておりませんよ」「何の罪もない
イエス・キリストを十字架につけたのは、この自分だと思います」…。まだ途中ですが、聖書の言葉を中心に
小説の文章から抜き書きしてみました。『塩狩峠』(三浦綾子)です。 2019.6.23